センターライン
泣かせてみたい(健と江端と慎吾)
※ヒロイン・ヒーローグランプリダブル受賞記念小説


 2001年9月。

 東京は8月の猛暑から、毎日少しずつ解放されてはいたものの、まだまだ残暑が厳しかった。
 けど、早朝の短い間だけ、海風がゆるやかに、肌に気持ちいい感触を流しこんでくるタイミングがある。
 この俺が一日の中で唯一、自然の風に身をまかせていられる時間帯。
 夏は室内でクーラー設定17度が常の俺だが、最近、束の間のモーニングタイムだけは、その風を受けられるバルコニーに出ることが多くなっている。
 

 短パン半袖姿のまま、白いプラスティックのデッキチェアーで、まどろんでいた俺の耳に、玄関の鍵が注意深く解除された音が聞こえてきた。午前5時、少し前、か。
 畜生。太陽が空への階段、昇り始める時間じゃねーか。

「…健さん、いない? あー、やっぱ呑み行っちゃったのかな」

 とまどってる、とまどってる。くっくっ。
 デッキチェアーに仰向けになっていた俺は、シンが部屋に入ってきた瞬間、しっかりばっちり覚醒していた。
 だが立って、自分から姿を見せてやる気はない。


 昨夜、勤務中に、四季グリーンホテルで急病人が出たと突然ケータイでメールを打ってきたあいつは、そのあと病院に付き添うことになったのか、ずっとケータイの電源を切ったままだった。
 留守録に切り替えもせず、結局は俺とのデートをドタキャンしやがった。
 約5時間の遅刻…。この俺相手に、よーやってくれるもんだ。しかもこれが初めてじゃねぇときてる。つっくづく!! ホテルマンっつうのはテメェの時間なんか、あってなきがごとしの職業だ。クソ。



 昨夜は四季グリーンホテルのフロントデスクが手薄で、ああいうときは内科の宿直のいる病院を手配することすら知らない奴らばかりだったらしい。
 胃が痛いと訴える客を、外科医が宿直してる病院に搬送しても、しゃーねってのに、そんなことも知らないで、最初にフロントで電話をとった奴は、いきなり救急車を呼ぼうとしたとか。
 シン以外は、深夜の病院手配に慣れてないスタッフばかりだったのも要因らしーが(こういうときに貴奨さんは留守ときてる。使えねぇ)。
 ともかくシンは、フロントスタッフがパニくる前に、さっさと自分の車で病院に連れていくことにしたようだった。
 人命がかかってたとあっちゃ仕方ねーんだろーけど、なんで仕事仲間の無能のせいで、俺まで巻き添えくわなきゃなんねぇかっての。
 ガキっぽいつっこみだと、わかっちゃいるさ。
 けど、二度とされないって保証はないんだぜ。あいつと付き合ってる限りはさ。



「お風呂場でもない。健さん、どこ行ったんだろ」
 バルコニー側のロールブラインドは床まで下げてあるものの、部屋の中からなら、デッキチェアーで俺が寝転がってるシルエットぐらい、うっすら見えるだろーに、まだ気づかねぇ。鈍感な奴。
 
 けど、なんか…。
 俺を探して、あいつが部屋の中、ぱたぱた走り回っている足音は、やけに耳に心地いい。俺は、うっすらと唇に笑みを浮かべて目をつむった。
 アクリル100パーセントの軽い毛布を、てきとうに身体に巻き付けたまま、半分うつぶせになって自分の腕まくらに頬を押しつける。
 ずっと階下で鳴きだした、いつもなら大嫌いな蝉の鳴き声は、どうでもいい気分だった。



「こんな朝早くからどうした、慎吾」
「あ。江端さん。おはようございます。健さん、そっちの部屋なんですか?」
 その瞬間、俺は咳きこみかけた。口を毛布で押さえ、なんとか堪える。

 なーんで江端の部屋で俺が寝てるかもとか思うんだ、あんガキャ〜〜っ!!!
 俺があっちのベッドで寝っ転がってもだな、また最近とみに鍛えまくってる筋肉質のブッとい腕が、五分もたたないうちに人の身体を荷物かペットみたく持ち上げてリビングのソファに放り出すか、俺のベッドに投げこんで、そこでジ・エンドなんだぞ。
 25歳のみそらでもう「涸れ井戸、休火山」なんだぞ、江端は。


「煙草買いに行ってんじゃないか? バイクのキーはそこにある」
「あの、昨日の夜とかって健さんとなにか話しました?」

 俺の部屋に来たとたんリサーチかよ、シンの奴。
 なんでもかんでも人に尋くクセは直せって俺が言ってんのに、まだわかってねぇ。

「珍しい花を、おまえと一緒に温室に見に行く予定だったとか」
「『月下美人』です。滅多に自宅では咲かない花で、咲いても2日持てばいいほうっていう、栽培が難しい花なんです。この前、俺が一度も見たことないって話したら、健さんがネットで、花の開花がもうすぐっていう書き込みしてた愛好家の人を見つけてメールで、やりとりまでしてくれて、それなのに俺…」

 シンの声が、だんだん後ろに行くに連れて小さくなっていく。しゅんと、うなだれているのかも。あいつは声の調子と態度が直結してるから、今の姿は目に見えるようだ。

 そーさ。見学の段取り組んでやったんだ、あいつの為に。
 『月下美人』の開花なんて、俺もナマでは見たことなかったし、自称・蘭愛好家って奴の返信してきたメールも好印象だったし。
 バイクや車でただドライブしたり、観覧車で焦れ焦れのエッチするのとは、また違った感じでいいかなってさ。
 なんだかな。江端の涸れ具合が移ったんじゃねぇか、俺。
 以前ならデートをキャンセルされりゃ、そのまま外に出て別の遊びで時間をつぶしたはずだ。こんなふうに待っててやることなんかなかった気がする。



「そんな顔するな、慎吾。おまえの事情は健もわかってる」
「わかってくれていても…申し訳なくて。健さん、わがままだけど、最近やさしいですもん…」

 なんだ、それは。一言余計なんじゃねーのか? シンの奴。
 江端も江端だ。おまえには関係ないっつーの。
 あー…なんか。
 今ふと思い出した。この前、新宿の占い師に言われたやつ。
 『いい位置にいるね。本人が望む、望まないに関わらず、あんたの運気は上昇の一途をたどる。ただし、金持ちになれば必ず訪れる運命に注意しないと…』


 人の近付いてくる気配がする。江端だな、この歩き方は。
「…慎吾。そこらへん回ってみたらどうだ? コンビニで立ち読みでもしてるんじゃないか?」
 わざわざ俺の寝転がっているベランダの手前で、そんなこと言うってことは、俺の居場所に、もう気がついていやがる。

「わかりました。なにか買ってきましょうか? 冷たいお茶とか」
「ああ、なんでもいい」
「江端さんは苦いほうが好きだからサントリーの烏龍茶でいいですよね」
 最近は中国茶の直接輸入まで始めて、着々と業績を伸ばしてる江端だが、結局今でもテメェが飲むのは缶の烏龍茶だ。

 


 シンが出て行く音が聞こえて、ベランダの窓がカラリと乱暴に開けられた。
 寝るときは寝室のクーラーを消す江端は、夏の間はシャツを着ず、上だけハダカでベッドに入る。肉厚を感じさせる肩から胸が、朝の空気を吸い込んでふくらんだのが、俺の目のはしに入った。
「ほら、入ってこい、健」
「…気がついたなら教えてやりゃいーだろ」
 健さんごめんね、機嫌直してって…、あいつが江端の目の前で、俺の首に腕回してくる姿を想像してたってのによ。

 一分たってもデッキチェアから身体を動かさない俺を、じっと江端も見ている。
 いつもなら放っておくはずが、めずらしくベランダに出てきた。俺のななめ前で腕組みして立ち、そのまま柵に背中を預けて寄りかかる。
 海と空を振り返るように身体をひねりながら、のんびりとした声がつぶやいた。


「早朝だと、ここも気持ちいいな」
「シャツ着てこい。風邪ひくぞ」
「大丈夫だ」
「ハダカなんて、見てるこっちが寒くなるだろーが」
 俺は、自分の身体にかけていた毛布を江端に投げつけた。

 そのとき予想もしていなかった突風が吹いた。かなり強い風。
 この部屋はマンションの上層階なんだ。
 強い海風になると、俺みたいに身体を低い位置に置いていない限り、周囲にさえぎるものがねーから、自然の力には暴力的なまでに容赦がない。
 しまった!! と俺は内心叫んだ。
 江端は風になぶられる前髪のせいで、ちょうど目をつむっていたのに。
 顔に毛布を巻きつけた身体が方向感覚を失い、ぐらっとバランスを崩す。
「――っ!!」


 とっさに立ち上がった俺の足はもつれた。こんなときに!!
 懸命に伸ばした腕が、奴の身体を支えるのとは逆に、ベランダの外側へ突き落とすかのようにぶつかる。
 江端の頭は反り返り、ベランダの外へ大きく揺らいだ。


『…金持ちに必ず訪れる運命…。宝を積んだ船はやがて自らの重みで沈む。大きな荷物を捨てる選択を、あんたは求められるはずだ』


「江端っ」
 切羽詰まった俺の声に向かって、やみくもに江端は腕を伸ばした。
 俺も奴の手首に爪が食い込むほど、夢中で自分のほうにひっぱる。
 中途半端に浮き上がった俺の腰がデッキチェアに戻ったとき、江端の身体が倒れこんできた。


「痛ぇっ! デブッッ!」
「…毛布で前が見えん」
 江端の顔から胸までをおおっている毛布は、倒れこんだとき、顔を隠したままぐるりと首回りに巻きついていた。おまけに毛布の大部分が俺の背中に敷かれていて、俺が身じろぎするだけで、江端の首が毛布で締められ、苦しくなるようだ。

 状況はわかったが、100キロ近い筋肉にのしかかられると、今の体勢では俺も身動きがとれない。
 江端は、デッキチェアーに仰向けになっている俺の身体を、チェアをまたいだ格好で、のしかかっていた。コンクリートの地面のどちらかに、江端が膝をつけていれば、せめて重心を移動できるものを。
 
「…健、静かに腰を上げてくれ」
「できっか! シンをのせてるのとは、わけが違う!」
「わかった。どうにかするから静かにしろ。まだ隣は寝てるんだ」
 うちと隣のベランダの間は繋がっていないが、これだけ大声でわめけば、何事かと外に出てくるかもしれない。
 

 にしても、なんでこう、冷静なんだ、この野郎は。
 空に向かってバランスを崩したときも、驚いた声ひとつあがらなかった。
「人のケツ撫で回すな」
「撫で回してるわけじゃない。おまえの下にひっかかってる布を…ちょっとでいいから腰浮かせてくれ」
「動けねぇよ。おまえが下に落ちるほうが早い」
 言ったと同時に俺は身体をよじり、膝をななめから立てた反動で、江端の身体をベランダのコンクリートに蹴り落とした。
 最初からこうすれば良かったんだ。
「ふぅ。俺のお気に入りが、重量オーバーで壊れるところだった」
「毛布なんて、いきなり投げつけるからだろう」
「テメェが目ェつむってたのが悪い」
 江端は毛布をむしりとると、部屋の中に投げこんで大きく息をついた。



 そろそろシンの奴が戻ってくるんじゃないかと思いながらも、俺は寝転がったまま手を伸ばして江端の前髪を指でつまんだ。
 周囲の猛反対によって、髭は剃った江端だったが、最近は散髪をさぼっているせいで、こいつの前髪は目にかかるまで伸びている。
 昔っから、カラスの羽みたいな濡れ羽色の黒々とした髪は、見た目を裏切らずに、指で触れると硬い感触だ。
 ぱさついた髪をめくると、上目がちな黒い瞳が、じっとこちらを見つめていた。

 ひさしぶりだった。こんな至近距離で江端と視線を交わすのは。
 部屋にいても会社でも、俺達はめったに互いの顔を見て話したりしない。
 会話するときは、むしろ違う方向を向いているのが普通だ。
 野郎同士で見つめ合うのは、喧嘩のときだけでいい。


「…今日、切ってこいよ、これ」
「ひっぱるな」
「長いとひっぱりたくなるんだよ。俺の指先にゃ、そうインプットされてんだ」
 前髪がカーテン代わりになって瞳が見えなくなると、いつの頃からか、誰に対しても、そうやって掻きあげる癖がついているのは本当のこと。
でもそんなことをするためには接近しなきゃならない。
 接近したらしたで、なんかしねーと、今度はその後が続かない。場が持たないのは嫌いなんだ、俺は。
 だから。
 おまえの前髪は長くなっちゃなんねぇんだ、江端。
「絶対切ってこい。じゃなきゃ、今夜俺が切るからな」







 予想に反してシンはいつまでも戻ってこなかったから、仕方なく外に探しに行った。
 俺のケータイがリビングに置きっぱなしだったのを見て、あいつも置いていきやがったんだ。
 江端は早起きしても二度寝することはなく、このまま支度して出社するらしい。
 俺は今日、午後から出勤する予定だったが、このぶんだとサボリだな、きっと。
 電話してみて、月下美人の花がまだ咲いてるようなら、これからシンと出かけることになるだろう。
 エントランスから一歩外に出ると、太陽が目に飛びこんできた。
 サングラスを忘れたのに気付いたけど、とりに戻るのは面倒くさかった。
 今日もきっと、暑い一日になる。

「…俺も、ちっと髪切るかな」 
 コンビニのビニール袋を下げたシンが俺の姿を見つけて走ってくるのに手を振ってやりながら、風でじゃまな前髪を片手でかきあげた。


<END>



去年のうちにほぼ書いておいたものですが、なんか、まとまらなくてー。ずっとお蔵入りでした。ご感想はタイトルに「小説ページネタバレ」と入れて、キャラ掲示板か、ayumi@rosarium-tk.com 「川原さんへ」で、お願いしますー。

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